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時間を差し出す働き方を、そろそろ疑ってみる

あの人は遅くまで残ってて偉い

こんな一言に、ちょっとした違和感を覚えたことはないだろうか?

成果よりも、そこにいた時間が評価される空気。まるで、時間を差し出せば差し出すほど会社に貢献しているかのような前提が、当たり前のように染み込んでいる。そんな職場文化は、少なくない。

もちろん、自分が求める鍛錬であれば、思うように時間を差し出せばいい。だけど「働くほど偉い」という話になると、やっぱり違うんじゃないかと思う。

よく考えてみてほしい。人生で一番取り戻せない資源はなにか。

お金も人脈も、時間があればまた作れる。だけど、時間だけは戻ってこない。それなのに、私たちは日々その時間を、頑張ってる感の演出に使ってしまっていないだろうか。

極論、真夜中のオフィスで、ただPCの前に座っている。それが成果を生んでいなくても、姿勢として評価される。これが繰り返されると、生産性は落ち、モチベーションの矛先もぼやける。成果を出した人より長くいる人が評価されると、チームの価値基準が歪んでいく。

「なんとなくおかしい」と感じながらも、声には出さない。だって、自分もその評価軸に乗っかってきたから。

じゃあ、いつ気づけるのか。

それは多くの場合、死に触れたとき。自分もそうだった。訃報で、時間が限られたものだと気づく。「あれ、自分もこのままでいいのか」と心が揺れる。でも、その気づきは一過性で、日常に戻るとまた時間を浪費しはじめる。

本当は、もっと日常的に「時間の有限性」と向き合う必要がある。

時間とは、人生そのものだ。

だったら、時間の使い方はもっと自分でハンドルを握るべきだ。単に効率化を目指すのではなく、自分がどこに時間を注ぐかを問い続ける。その選択が、自己投資にもなるし、ちゃんと他者への貢献にもなる。そういう時間の使い方が、見える化され、称賛される文化を、これからつくっていけたらいい。


初出:note